シャルの心の端書き置き場

短くは書けないそんなあれこれを

今年も新年のご挨拶と百人一首より短歌をひとつ

 皆さま、あけましておめでとうございます。昨年はあまり更新しておりませんでしたが、まだ生きて文章を書こうという意思があるので、始まりの挨拶と少し前に気になった百人一首にも取り上げられた三十一文字についてひとつ筆を染めようかと思います。

 抱負を述べたりするとそれを気負ったりそれに固執して新たな出会いを逃す可能性があると僕個人は思っているので、抱負はあまり多くは述べないようにしたいかと。唯色色な意味へ捉えられるように言うのみに留めますが、今年は出会いをより大切にしたいと思います。

 さて、短歌のお話にいたしましょうか。今回紹介させていただく短歌は以下です。

 

 みかの原 わきて流るる いづみがは いつ見きとてか 恋しかるらむ

 

 僕がさらりと、そうは言っても裏で助詞助動詞表や古文単語を調べてある程度まで裏打はしたものですが、現代語訳をしてみました。

 

みかの原より湧き出でて流れる泉川、その川の名のようにいつ貴女を見たというわけでもないのに、どうしてこんなにも貴女が恋しいのでしょうか

  

 こんな感じでしょうか。細かい助詞助動詞の解説は興味がある方がいないでしょうし誤りがあっては困るので全て省略いたしますね。非常に有名な短歌なので調べれば解説サイトはいくらでもあるでしょうし、参考書でも解説されていると思われます。

 この歌は新古今和歌集では詠み人知らず、小倉百人一首では中納言兼輔こと藤原兼輔となっています。「いづみがは」とは京都を流れる木津川のことで「みかの原」は京都南部木津川の北方のことを指し、「わき」は分きと湧きの掛詞で、「いづみ」と「わきて」は縁語となっています。

 皆さまはこの短歌をご覧になった時にどのような感慨を抱かれたことでしょう。僕ははっとするような想いに囚われました。この短歌の詠まれた時代の女性は男性の眼にはあまり触れず侍女や女房の噂を聞いたり、垣間見をすることによって女性を遠目に見て、女性について想像を大いに膨らませて恋文を送り求婚していたのです。現代の特に自由婚の時分に当たっては相手の容姿はわかっている上での付き合いが良くあることだと思うのです。僕は時代に逆行しているのか、将又少し先を見ているのかここ数年来顔の見えない人間関係を大事にしているので、見たことのない人を好きになるという感情にさして違和感は覚えないのです。僕はそのことを常日頃意識し苦しいまでの恋心を、美しい短歌として三十一文字で表現しきった詠み手に驚いたのです。やすやすとは見えぬ女性に泉のように溢れ出さんばかりの恋焦ぐ想いを抱き、その恋心をしっかりと詠み込むことで似た想いを抱える僕には胸の締め付けられるような気ぞすれというものです。

 普段顔が見えなくても相手は人間ですし、心を持っていることには変わりありませんし、会って話すとやはり楽しいものです。もっと深く書きたいものですが、もし深く読まれ再度過ちを犯してしまいたくない相手がおりますれば、ここの辺で。

 今年はもう少し、文章の形に遺せるものが出来ますように。もしこの文章を読まれた方がいらっしゃいましたら、最大限の謝辞を述べさせていただきます。本当に、僕に関わっていただきありがとうございます。